硫酸技術   by T.Ono
 プラント建設体験-8
 
Dance school for little girls, Bangkok, Thailand
10.タイ 日系コンデンサーメーカー(1992年、2000年、2001年)
排煙脱硝設備:

1992年、本社にいました私あて、地方の事業所にいる先輩から電話がありました。
「タイで脱硝の仕事があり、客先技術者や現地工事業者と打ち合わせをしないといけないが、全部英語だそうだ。 俺は自信がないから、お前代わりに行け」と。
いやはや、この先輩は誠に優秀な方で、私も若いころからいろいろと世話になりましたので断れない。 それに、タイはシンガポール時代に女房と遊びに行ったきりですから、興味もありましたし。
お客は、某有名電機メーカーです。 半導体やコンデンサーにも強く、事業所のある県内の工場には私どもが設計・納入した排煙脱硝設備があり、このタイの工場にも、その工場出身者が多くいらっしゃったのでわが社を指名していただいたのだとか。
現地工場のコンデンサーを作る工程で発生する、高濃度のNOxガスの処理です。 当社技術は、過マンガン酸カリを触媒に使ってNOxを酸化して硝酸に変え、苛性ソーダで中和するというものです。 (→「関連技術」「排煙脱硝」参照)

で、先輩の講義を受けて仕事の内容を理解したうえで、機械屋1名を同道してバンコクへ。
夕刻バンコクにつきますと、客先の課長が出迎えてくれ、早速下請け業者と会議だ、と。 向こうは日本より2時間遅いですから、まだ「宵の口」。
眠い目をこすりながら3時間ばかりの打ち合わせが終わると、業者曰く「さあ、軽く一杯行きましょう!」
それから飯を食って、更に可愛い女の子が一杯いるスナック?へ連れて行かれ、いやはや初日からハードな出張でした。
それにしても? 英語が必要との触れ込みでしたが、下請け業者は日系の会社、お客の現地技術者も日本の大学卒で日本語がペラペラ、私が行かなくても良かったのかも。

この時の担当は、設計の手伝いだけでしたが、その後私が地方の事業所に転勤してから、2回目3回目の仕事が来ました。
2回目は、1999年の年末、そろそろ東京へ帰ろうか(単身赴任していましたので)という日に急に国際電話があり、「2基目を買いたいのですぐに来てくれ」と。 「お正月の後では?」 「ダメ、こちらは正月関係ない」。
その次の年に3基目、その後も色々と買っていただいたので、事業所から若い技術者を次々に派遣しました。
私の持論、「これからは普通に海外で仕事をする時代が来る。 外国の仕事に慣れておくように」を実践したわけです。

おかげで、タイには何度も足を運ばせてもらいました。 お客の工場は、バンコクから北に2時間余り車で行った大きな工業団地にあり、他にも日本企業の工場が林立していました。 昨年の洪水で、被害を受けたのではないか?

タイは良いところです。
まず、食べ物がおいしい。 (Spicy & chilly, 大変辛いですけど)
国民は親日的で、バンコクでは結構日本語の通じる場所があります。
一方、貧困ゆえ? 泥棒がたくさん。 観光客相手の歓楽街が繁盛し、エイズ患者とゲイボーイも多数。

私と同い年の元部下は、「バンコク大好き人間」になってしまい、プロジェクトが終わってからも「毎年2回以上バンコクへ行っている」とのことでした。 元気で結構ですなあ。
プラント建設体験−9
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