硫酸技術   by T.Ono
 プラント建設体験-9
 
Blind quartet in Manila, The Philippines
11.フィリピン 
水処理設備:

私とフィリピンの最初の関わりは、シンガポール駐在の前に、実習の一環としてポリエチレンバッグを生産している現地企業を訪問したことでした。 1980年、もう30年以上も前です。
現地企業の工場はバターン近くにあり、マニラから車で参りました。 華僑系のフィリピン人が経営している会社でした。
マニラ空港に着いたとき、出迎えの人々の多さとその喧噪にたじろぎました。 「夜はあまり出歩かないように」と言われていましたが、同行した先輩は何度も来ているので?、「平気平気」と、ラテン・クォーターという盛り場へ毎夜連れて行ってもらいました。

日産エンジに出向後、現地の日系企業の水処理設備の増強を請け負い、機械設備の担当者と一緒に再訪しました。 1997年のことです。
水処理と言っても排水ではなく、工業用水の処理です。
工場はやはりマニラから車で1時間余り行った郊外の工業団地にあり、近郊の現地人を多数雇用しているようで、食事時に集う若い男女の群れが、若者の少なくなっている日本から見ると新鮮でした。
郊外ですので空気もきれいで、私の好きな熱帯の濃い青空が頭上に広がっていました。

マニラの夜は、やはり「一人では出歩くな」と言われておりました。 それでも、現地日系企業に短期駐在していた、顔見知りの顧客のお供をして、日本語の通じるスナック?を何度か訪問しました。
現地人の女の子は皆陽気で明るく、多くが「ここで日本語を勉強して、日本に出稼ぎに行ってお金をためて、帰国して店を持ちたい」と言っていました。

フィリピンは「格差の国だな」と、マニラを見ていると感じました。
宿泊していたホテルで、「Ms.誰それの社交界デビューパーティー」というのが開かれており、高級そうな服に身を包んだ、背の高い人々がベンツで集っていました。 一般のフィリピン人は小柄で、150cmそこそこに人が多いのに、彼らは栄養のせいか皆立派な体格でした。
一方、高速道路の下にはベニヤ板や段ボールで作ったバラックがあり、架空電線から裸線がバラックに降りています。 電気を盗んでいるのだとか。
こういう貧富の差は、発展途上国ではどこにもあり、やむを得ないものではあるのですが、フィリピンでは特に気になりました。
アメリカ統治の影響でしょうか? 「資本主義」を裸で実践しているのでしょうか? 治安が悪いので、ホテルからの移動は全部お客の契約している旅行会社の車で、高級レストランやデパートへ行きました。 貧しい庶民の海に、壁をめぐらせた金持ちの島が浮かぶ。 マニラはそんな印象の町でした。

再々訪:

2012年7月、15年ぶりにフィリピンを再々訪しました。
マニラ空港には、もう出口に群がる怪しげな人々はいず、街中の段ボールの家もなく、経済はずいぶん改善されたと見えました。 でも、セキュリティーチェックは相変わらず厳しく、ホテル入口にさえガードマンがいました。
わずか4日の滞在で、その間に南の島にも参りました。 ほとんど毎日が曇り空か雨の日で、「5カ月続く雨季の間は、毎日がこんなものです」とは現地人の弁。 前回前々回は、熱帯の青空の記憶がありますので、乾季だったのでしょう。
日系の会社を訪問してお話を聞きましたら、「フィリピンで仕事をすることの一番の優位性は、英語で仕事ができることです」と言ってらっしゃいました。 そういえば、この国は、「フィリピン語」以外にも英語が公用語です。
マニラのホテルは、とても快適でしたが、南の島のホテルは、いたるところエアコンを省略していて、結構汗をかきました。 マニラと地方の格差は、まだまだ大きいですね。
それでも、近年の経済好調のせいでしょうか? 人々の顔に、なんだか自信みたいなものを感じました。 「金持ちケンカせず」。 経済発展は、人々のいがみ合いを解消する一番の処方箋ですね。
12.オーストラリア
無機化学薬品(ソフト輸出):

これは、ある硫黄系無機薬品の技術を売ってくれという、オーストラリアの会社からの引合いでした。 客は、英国系の世界的大企業の現地子会社でした。
客先でもエンジニアリング部門を持っているというので、当方でエンジニアリングを実施すると高価になる、基本情報とノウハウのみを買いたいと言ってきましたので、希望通り既設プラントの図面を売り、それにバランスなどの基本設計条件を付けて出しました。
図面だけでは分からないだろうということで、日本国内で図面の説明をするということにしました。
当初の引き合い後、ネゴに来たのは、営業担当副社長でした。
富山のホテルで、接待しようと「ステーキでも食べる?」と聞きましたら、「いや、伝統的な日本料理が食べたい。 刺身もOK」と言います。
それ故、ホテルの近くの和食割烹に連れてゆき、希望通り日本海の魚の刺身や煮つけ、アユの塩焼きその他伝統的な日本料理をふるまいましたところ、大喜びしていました。
聞けば、オーストラリアには日本料理店がたくさんあり、彼らは日本料理に抵抗が無いのだとか。
契約の時に再度来日したのですが、その時事前にFaxを寄越し、「あの美味しい和食割烹をまた予約しておいてくれ。 今度は我々が払うから」と言ってきたのには笑ってしまいました。

現地の設計と運転の責任者が来日し、親会社の工場で既設のプラントを見ながら勉強することになり、私が先生を務めました。
一人は白人でしたが、もう一人はインド系で、これがベジタリアンなので昼食時は大変苦労しました。
偶々工場の近くで営業しているインド料理店があり、インド人が実際にコックをやっていましたので、「野菜カレー」を頼んでやったら、美味しい美味しいと2人前食べていました。 それまでは我慢していたのかなあ。

技術の販売は問題なく終わり、1年ほど後に彼らの設備は竣工したはずです。
「動いたら見に来てくれ」と言われていましたが、その機会のないうちに今に至ってしまいました。 興味だけはいまだに残っているのですが。
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